「先生、この手紙、私が説明します」
「病院では、私が通訳します」
「市役所から電話があったら、私が話します」
もし、子どもからこんな言葉を聞いたら、あなたはどう感じるでしょうか。
「しっかりした子だな」
「家族思いの優しい子だな」
「日本語が上手で頼りになるな」
きっと、そんなふうに感じるかもしれません。
でも、その「しっかりしている」という姿の裏側に、子どもの頑張りすぎが隠れているとしたらどうでしょう。
本当は友達と遊びたい。
宿題もしたい。
部活動にも参加したい。
でも、家族のために通訳をしなければならない。
そんな毎日を過ごしている子どもがいます。
外国にルーツのある子どもたちの中には、家族と社会をつなぐ「言葉の橋渡し」を担っている子どもがいます。
このような子どもたちは、
「ことばのヤングケアラー」
と呼ばれています。
「ヤングケアラー」という言葉は、少しずつ知られるようになってきました。
一方で、「ことばのヤングケアラー」という存在は、まだ十分に知られているとはいえません。
そして、この問題には、少し難しいところがあります。
それは、「できる子」ほど、気づかれにくいということです。
今回は、外国にルーツのある子どもたちが担っている
「言葉のケア」について、以下の文献を参考に一緒に考えてみたいと思います。
【参考文献】
ヤングケアラーとは?
まず、「ヤングケアラー」という言葉から見ていきましょう。
ヤングケアラーとは、
本来なら大人が担うことが想定されている家族のケアを
日常的に担っている子どもや若者のことです。
ここで大切なのは、「家族のお手伝いをする子ども」と「ヤングケアラー」は同じではないということです。
たとえば、家族のために食器を洗ったり、弟や妹の面倒を見たりすることは、必ずしも問題ではありません。
家族を助ける経験は、子どもの成長につながることもあります。
問題になるのは、その役割が大きくなりすぎて、
子ども自身の生活や心身に負担がかかっている場合です。
では、ヤングケアラーは具体的にどんなことをしているのでしょうか。
家事を担う
- 料理をする
- 洗濯をする
- 掃除をする
- 買い物に行く
- 家族の食事を準備する
きょうだいの世話をする
- 小さなきょうだいの送り迎えをする
- 食事を用意する
- 宿題を見る
- 遊び相手になる
- 身の回りの世話をする
家族の身体的なケアをする
- 病気や障害のある家族の世話をする
- 食事や薬の準備をする
- 着替えや入浴を手伝う
- 通院に付き添う
家族の心を支える
- 家族の悩みを聞く
- 話し相手になる
- 家族を励ます
- 家族の不安や感情を受け止める
そして、外国にルーツのある家庭では、もう一つ大切なケアがあります。
それが、「通訳・翻訳」です。
言葉のヤングケアラーとは?
外国にルーツのある家庭では、保護者が日本語を十分に理解できないことがあります。
そんなとき、子どもが家族と社会の間に入って、「言葉の橋渡し」をすることがあります。
たとえば、学校からプリントをもらったとします。
子どもは家に帰って、
「これは学校に出す書類だよ」
「〇月〇日に保護者会があるよ」
と、保護者に説明します。
それだけなら、家庭の中で自然に起こることかもしれません。
ところが、これが毎日のように続くことがあります。
病院に行けば、医師の説明を通訳する。
市役所に行けば、制度について説明する。
学校から電話があれば、保護者の代わりに話す。
難しい書類が届けば、内容を調べて家族に伝える。
こうなると、子どもが担っている役割は、単なる「お手伝い」とは言いにくくなります。
家族の生活を支える重要な役割になっているからです。
これが、「ことばのヤングケアラー」という問題です。
「日本語が上手だから大丈夫」ではない
ここで、私たち大人が気をつけたいことがあります。
それは、
「日本語が話せるから大丈夫」
と考えてしまわないことです。
日常会話ができることと、難しい内容を理解することは別です。
たとえば、病院では専門用語が使われます。
市役所では、制度や手続きについて難しい説明があります。
学校でも、進路や教育制度について複雑な話をすることがあります。
大人でも難しいと感じるような内容を、子どもが一生懸命理解して、それをさらに保護者へ伝えていることがあります。
しかも、その内容が家族の病気やお金、生活、在留資格などに関わることもあります。
これは、子どもにとってかなり大きな負担になる可能性があります。
だからこそ、
「何ができるか」だけではなく、「何を背負っているのか」
を見る必要があります。
「しっかりした子」の裏側にあるもの
ヤングケアラーの問題では、子どもの「強さ」が、かえって見えにくさにつながることがあります。
たとえば、先生から、
「この子はしっかりしている」
と思われている子どもがいます。
保護者からも、
「この子に任せれば大丈夫」
と思われているかもしれません。
本人も、
「自分がやらなければ」
と考えていることがあります。
すると、周囲はなかなか気づきません。
子ども自身も、「困っている」とは思っていないことがあります。
むしろ、
「家族だから助けるのは当たり前」
と思っていることもあります。
だからこそ、私たちは「困っている子どもを探す」という視点だけではなく、
「頑張りすぎている子どもはいないかな?」
という視点を持つことが大切なのだと思います。
ヤングケアラーの主な割合。年代別
では、実際にヤングケアラーはどのくらいいるのでしょうか。
こども家庭庁などの調査では、「世話をしている家族がいる」と回答した割合は、年代によって次のようになっています。
- 小学6年生:約6.5%
- 中学2年生:約5.7%
- 高校2年生:約4.1%
- 大学3年生:約6.2%
中学2年生では、約17人に1人という割合です。
30人ほどの学級なら、単純計算で1~2人程度になります。
ただし、ここで注意したいことがあります。
これは、家族の介護や家事、きょうだいの世話などを含めた「ヤングケアラー全体」の割合です。
「ことばのヤングケアラー」が何%いるのか
という全国的な数字は、まだ明らかになっていません。
だからこそ、この問題は見えにくいのです。
外国にルーツがある子どもが、家族の通訳をしている。
でも、そのことを学校が知らない。
本人も「困っている」とは言わない。
そんなケースがあっても不思議ではありません。
「助けて」と言えない子どもたち
ここで、もう一つ考えたいことがあります。
それは、子ども自身が「助けて」と言えないことです。
「家族が困っているから、自分がやる」
「自分が通訳しないと、家族が困る」
そんな気持ちを持っている子どもに、
「大変だったね」
と声をかけても、
「別に大丈夫」
と答えるかもしれません。
それは、本当に大丈夫だからでしょうか。
もしかすると、
「自分が頑張るしかない」
と思っているのかもしれません。
だから、私たちは「困っている?」と何度も聞くだけではなく、子どもが自然に話せる環境をつくることが大切です。
「家ではどんなことをしているの?」
「学校からの手紙は、誰が読んでいるの?」
「病院に行くときは、誰が説明を聞いているの?」
そんなふうに、生活の様子を具体的に聞いてみることも一つの方法です。
NPO法人「ともくら」とは?
「ことばのヤングケアラー」という問題に取り組んでいる団体の一つが、NPO法人「ともくら」です。
ともくらは、外国にルーツのある子どもや家庭が、日本で安心して暮らせる社会を目指して活動しています。
「ともくら」という名前には、**「共に暮らす」**という思いが込められています。
活動では、外国にルーツのある子どもたちが家族の通訳や翻訳を担うことで生じる負担にも目を向けています。
大切なのは、
「子どもが通訳できるなら、子どもにお願いしよう」
という社会ではなく、
「子どもが通訳しなくても、家族が必要な支援を受けられる社会」
をつくっていくことです。
子どもが家族を助けることを否定する必要はありません。
でも、子どもだけに責任を背負わせない。
そこに大人の役割があります。
ともくら | 特定非営利活動法人「共に暮らす」 日本語が話せず読み書きもできない外国籍の両親のために、病院や役所での手続きを通訳・代筆する小・中学生のkodomo(こども tomokura.org
私たちにできること
では、学校や地域にいる私たちには、何ができるのでしょうか。
まずできることは、**「気づくこと」**です。
たとえば、
- 保護者の通訳をいつもしている
- 学校からの手紙を毎回説明している
- 病院や行政の手続きによく付き添っている
- 家族に代わって電話をしている
- 家族の事情で学校を休むことがある
- 「自分がやらないと」と話すことが多い
- 勉強や友達との時間が少なくなっている
こうした様子があれば、少し気にかけてみましょう。
ただし、すぐに、
「あなたはヤングケアラーです」
と決めつける必要はありません。
大切なのは、子どもの話を聞くことです。
「最近、家で大変なことはない?」
「困っていることはない?」
「先生に手伝ってほしいことはある?」
そんな言葉から始めてみましょう。
そして、もし子どもが困っていることを話してくれたら、子ども一人に解決させないことです。
学校なら、担任だけで抱え込まず、管理職やスクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーなどと一緒に考えることができます。
必要に応じて、自治体や外国人支援団体、医療機関などにつなぐこともできます。
そして何より、
「あなたが家族を助けることは素敵。でも、あなた一人で頑張らなくていいよ」
と伝えてあげたいものです。
子どもに「通訳者」の役割を背負わせない
外国にルーツのある子どもたちを支えるとき、私たちが忘れてはいけないことがあります。
それは、
子どもは「通訳者」になるために生きているわけではない
ということです。
もちろん、家族を助けることは悪いことではありません。
家族のために通訳する経験が、その子の自信や将来の力になることもあるでしょう。
でも、それを「子どもが担って当然」としてはいけません。
子どもには、子どもの時間があります。
友達と遊ぶ時間。
好きなことに夢中になる時間。
勉強する時間。
失敗する時間。
将来のことをゆっくり考える時間。
そして、何もしないで過ごす時間だってあります。
そうした時間も、子どもの大切な権利です。
最後に
「この子、しっかりしているな」
学校でそんなふうに感じる子どもがいたら、少しだけ考えてみてください。
その「しっかり」の裏側には、どんな生活があるのでしょうか。
家に帰ったあと、何をしているのでしょうか。
誰かの代わりに電話をしていないでしょうか。
誰かの代わりに難しい説明を聞いていないでしょうか。
家族のために、自分の時間をあきらめていないでしょうか。
もちろん、すべての子どもがそうだというわけではありません。
でも、「もしかしたら」と考えることはできます。
そして、その「もしかしたら」が、子どもの支援につながることがあります。
ヤングケアラーの問題を考えるとき、私たちは「子どもが家族を助けること」を否定したいわけではありません。
むしろ、家族を大切にする気持ちは、その子の素敵な部分です。
だからこそ、
その優しさに、大人が甘えすぎないこと。
それが大切なんだと思います。
子どもが家族を支えるのではなく、
大人が子どもと家族を一緒に支える。
そんな社会になれば、子どもたちはもっと自由に、自分の未来を考えられるようになるはずです。
「日本語が上手だから大丈夫」
「しっかりしているから大丈夫」
「家族思いだから大丈夫」
そんな言葉の奥にあるものを、もう一度見つめてみる。
「この子は、頑張りすぎていないかな?」
その問いを持つことから、支援は始まります。
すべての子どもが、家族を大切にしながらも、
自分自身の人生を大切にできる社会へ。
この記事が
小さなきっかけになれば幸いです✨
【参考文献】


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