日本の『学校の標準』とは?🏫狭すぎる標準の弊害

おすすめ本

毎朝8時に登校し
宿題・連絡帳を提出し
5〜6時間授業を受け
数字で評価される
進学のためには、ある程度の数字が求められる

そんな日本の『学校の標準』が狭すぎる

と言う本田秀夫さんのお考えに激しく同意したので、
今回記事にまとめることにしました。

以前私が通常学級の担任をしていた頃に感じていた違和感を
言語化してくださった
そんな気持ちになりました。

なぜ日本の学校は
同じ年度に生まれただけで
同じ学習・生活レベルを強いるのか

その『標準』には収まらない子たちはどうすれば良いのか…

以下の文献を参考にしながら
私なりの意見も交えてお話しさせていただきます✏︎

【参考文献】


学校とは?

学校とは「社会に出ていくための土台づくりをする」場所

学校の中の発達障害 「多数派」「標準」「友達」に合わせられない子どもたち (SB新書)

目標は『もっと先にあります。

私たち教師や親は、無意識のうちに

学歴は重要だ

と子どもたちに伝えていることがあります。(口にしていなくても)

良い高校・大学へ進学することが、社会的な自立や将来生活に有利に働くと信じているからです。

学歴ばかりを求め
エネルギーを注ぎすぎるのは危険です

確かに、学歴は就職の際などには有利な要素の一つですが
学歴だけで将来が決まるわけではありません。

高校へ進学していなくても、起業して社会的に経済的に自立している方もたくさんおられます

反対に、良い大学に入ったものの、そこで燃え尽きてしまい、就職できなかったり

就職しても長く続かなかったりする方がおられるのも事実です。

人生のうち、学校に通う期間は約1/4です。

大学や就職をゴールにするのではなく

80歳や100歳の自分(子ども)を想像し
どうなっていたいのか(どうなって欲しいのか)

もっと先』を見つめる姿勢が大切だと思います。

学校では「社会に出ていくための土台づくり」が大切です
とお話ししましたが、

土台

とは何でしょうか。

私が思う土台は

自己効力感(セルフエフィカシー) です。

自分はできる!

と言う感覚を学校で育てることが
将来の苦難を乗り越えるためには欠かせないと考えるからです。

自己効力感(セルフエフィカシー)が育まれていれば、
多少の失敗があっても、問題を見い出し改善していける

と信じています。

日本の『学校の標準』は、
『自己効力感』を育むことが大切だといいながら
『自己効力感』を低下させてしまう危険性が大いにあると思います。

同年齢で集団を形成し
『それなりの学力』が求められ
成績で評価(比較)される

学習指導要領は、同学年の平均(IQ100)を基準に作成されているため、
半分近くの子にとって『それなりの学力』は高い目標になり、できない・分からない経験をして劣等感を抱いてしまいます

一方、IQ115以上の子たちにとっては、内容が簡単で面白くない
と言う場合もあります。

これでは『自己効力感』は高めるどころか、低下してしまう危険性もある
と考えています。

では『学力』とは一体どのような力なのか、次節で考えていきましょう✏︎


学力とは?

学力とは「自発的に学ぶ力」である

学校の中の発達障害 「多数派」「標準」「友達」に合わせられない子どもたち (SB新書)

学力≒成績
と捉えてしまいやすいですが、
本来学習とは、人に言われて強制されるのではなく
自ら興味・関心を持った物事に対して
自発的に学んでいくものだと思います。

一方的に教えられるよりも
自分に興味・関心があって、自ら学習したことは
学習効果が圧倒的に高いことが知られています。

皆さんも思い当たる節があるのではないでしょうか。

私は理系で、理科教員ですので、子どもの頃から科学的な事柄に興味があり、例えば元素記号や化学式を学ぶのは楽しかったのですが、みんながそうと言うわけではありませんでした。

一方、私は歴史的な内容にはそこまで興味がなく
社会の点を取るために、詰め込んだ記憶があります。
(覚えた内容はほとんど覚えていません。)

自発的に学んだことは、ほとんど忘れることはありません。

学校教育では、児童生徒の興味関心をいかに喚起し、いかに主体的な学びをするか、と言うことを教材研究しています。

しかし、今は学ぶ内容が多すぎるため、全ての授業でそのような授業は不可能に近いです。時間いくらあっても足りません。
教師もある程度は教え込むしかない…
と言う状況が実際に起きています。

本物の学力を高めていくためには、日本の『学校の標準』を見直していく必要があると感じています。

大人になって、学校で学んだことが活用されることは少ないです。

自分の得意な分野の仕事内容は自分でしますが、
得意外のことは、他の得意な人やAIに頼って仕事をします。

自発的に自分の興味・関心に基づいて学びを深めていく力が
これからの社会ではより重要になると感じています。


私が思い描く『未来の学校』図

日本の『学校の標準』は半世紀以上ほとんど変わっていません。

同じ学年集団で
同じ学習内容を学ぶ

その枠に収まらない子は、特別な場(通級指導教室・特別支援学級・特別支援学校)で学ぶ

子どもの数は減っているのに、特別な場を活用する子どもは年々増えているという逆転現象がどの地域でも起こっています。

これは、発達に関する認識が一般的に広まってきたと言う背景もあるとは思いますが、『学校の標準』がどんどん狭くなる故に、増えているのではないかと個人的には考えています。

また、不登校傾向の児童生徒も増えています。

日本の『学校の標準』では
無意識のうちに『みんなと同じ』を求められます。
そのため、発達障害や知的障害などの『少数派』は多数派から冷たい扱いを受けたり、場合によってはいじめに発展することさえあります。

『みんな同じ』

みんなと同じにしたくてもできない子たちは、
劣等感を抱き、自己効力感を下げてしまう…
学習性無力感を抱いてしまう…

この呪縛のような『みんな同じ』学校社会を根本的に変えないと、いくら小手先の対策でも効果は薄いと思っています。

私の考える個人的な根本的な変革は

『通常学級』という標準をなくす

たまたま同じ年度に生まれたと言うだけで、
全てを一緒に学ぶ義理はないと思います。

諸外国のように、飛び級があっても良い

学び直しがあっても良い

全ての教科を一緒に受けなくても良い

得意・不得意に応じて学習内容が選択できると良い

全ての教科を履修しなくても良い
(不得意なことはAIや人に頼れば良い)

凹を努力して補うよりも
凸を楽しく伸ばす方に、努力しても良い

皆さんは、現在の日本の『学校の標準』をどのように考えますか。


【参考文献】


最後までお読みいただき、ありがとうございました✨
いつも、記事を読んでくださり本当にありがとうございます。
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この記事を読まれた方が、
少しでも『学校の標準』について考える機会となれば嬉しいです🌈
今後もできる限り有益な記事を書いていきますので、よろしくお願いします。

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